○2005年4月に、大木理事がボリビアに技術調査を目的として行きました。
    場所はボリビア南部のポトシ市で、過去何回かの訪問で得た知識を紹介します。

    1.世界遺産と歴史

      南米ボリヴィア共和国南部ポトシ県のポトシ市は、セロ・リコ・デ・ポトシ山(“ポトシの
     豊かな山”の意、標高4,800m、写真参照)の裾野にへばりつくようにしてたたずむ
     人口12万人の町である。町自体も標高が高く、中心にあるポトシ駅でも富士山より
     約200m高い標高3,960mと表示され、町全体が東から西へ傾いた斜面に横たわって
     いるために、標高が高い東部の4,250mから西部の3,750mと500mの標高差がある。

      このセロ・リコ・デ・ポトシ山が麓のポトシ市と共に1987年に世界遺産に指定されている。

      このセロ・リコ・デ・ポトシ山は、インディヘナの羊飼いが羊を追いながら一休みした
     ところ、足元に光る石を見つけたのが発端で、1545年にスペイン人がこれに目をつけ、
     銀採掘を開始し、16世紀半ばにはポトシは世界有数の鉱山町となったと言われている。
     17世紀から18世紀にかけて世界有数の銀山で、当時のスペインの銀貨の8割近くを
     まかなったと言われ、ポトシ市内には当時の造幣局が博物館となって残っている。

      銀採掘で始まったセロ・リコ・デ・ポトシ山の鉱山業は20世紀初頭には錫(すず)生産に
     移行し、同山を含むボリヴィア国のアンデス地帯はタイ・マレーシアと並んで世界有数の
     錫生産を誇っていた。しかし、1980年代半ばに発生した世界の錫建値(たてね:国際取引
     価格のこと)が大暴落し、多くの錫鉱山が閉鎖を余儀なくされた。幸いにも、セロ・リコ・デ・
     ポトシ山には、鉛や亜鉛も埋蔵されていたため、鉛・亜鉛を対象に採掘が移行し、ポトシ
     市内および近郊にあるインヘニオと呼ばれる工場で分離回収され、今日に至っている。

      ちなみに、標高4,000mの高地では、気圧が平地の2/3(酸素が平地の66%)しかなく、
     お湯が86℃で沸き、激しい運動が出来ないのと調理に苦労し、圧力釜がないとご飯が
     おいしく炊けません。
    2.鉱害の輸出

      インヘニオで鉱石が処理される過程で出る廃液が処理不十分な状態でポトシ市内を
     流れるリベラ川へ放流されている。
      そのリベラ川は、ポトシ県南部を横断するピルコマヨ川へ流入する。このピルコマヨ川
     はポトシ県南部に国境を接するパラグアイ共和国へ入り、パラグアイ西部、アルゼンチン
     共和国との国境沿いを流下し、アルゼンチン国内でパラグアイ川と名を変えながらアル
     ゼンチン国北部を南下し、最後は、アルゼンチンの首都ブエノス・アイレス市の郊外を
     流れながらラ・プラタ川と名を変え、大西洋に注ぐ。すなわち、ポトシの鉱業活動が
     リベラ川汚濁を引き起こし、河川水の移動に伴うパラグアイ、アルゼンチンへの鉱害の
     輸出となっている。

      パラグアイおよびアルゼンチンからのクレームを受けてボリヴィアは三国委員会を
     設置し、ポトシ県の南部パラグアイおよびアルゼンチンとの国境近くの町で毎年2回、
     委員会を開いて対策を検討している。日本は、国際協力機構(JICA)が、2001年6月に
     ポトシ市に鉱害環境研究センターを設置し、2006年6月までの予定でこの問題に協力
     して取り組んでいる。

      公害の越境の問題は、国境を接している国々、河川が複数の国々を跨っている地域
     では珍しいものではない。

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